28日後

先代のペンタ1号が亡くなって28日が立ちました。
齢4歳でした。


28日...

 

心が癒えるまで時間が懸かってしまった。

 

そんな癒えたてほやほやの心は、セドナのカメラ屋さんで一瞬で恋に落ちました。

 

NICONちゃんとCANONさんに

 

ブル  ブル

 

おい......

 

見てるか ペンタ......

 

お前を超える逸材がここにいるのだ......!!

 

 

 

 

二人も同時にだ.........谷沢......

 

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カメラ買いました


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ラスベガス、ヤバス、メッチャタノシス!

愛と欲望の楽園「ラスベガス」

その言葉が表しているものを、たったいま肌で感じまくっている。

 

ロサンゼルスから長距離バスのグレイハウンドに乗って、走ること5時間。ロサンゼルスを抜けると辺りは、ひたすら荒れた大地がつづく。

 

気付けば夜になっていて、窓の外は真っ暗になっていた。

そしてそいつはその闇の中から突如として姿を現した。

まばたくようなネオンの輝き

 

「ラスベガス...」思わず、そう口に出してつぶやいていた。

 

バスの窓からは次々と意味の分からない規模の光景が流れていく。

漆黒にLEDが輝くピラミッドに、エロティックなお城、はたまたお台場にあるのより大きな自由の女神まで、これらは全て三ツ星ホテルのようだ。

 

そしてその中には自由に出入りできるカジノやバーが揃っている。

そこでは数多の欲望が毎晩、眠ること無く渦巻いているんだなあ..と部屋のソファで昼に買ったグリーンカレーを食べ、TOFUBEATS feat 藤井隆の「ディスコの神様」を聴きながら、スラスラと綴ってみた。

 

8/21 ラスベガス2日目

7時にアラームで目が覚めたと思ったが、気付けば10時に。

昨晩は夜が明けるまでラスベガスの夜を味わったせいで、ぐっすりと眠った。

夜の顔からは一転して、日中はゆっくりと時間が流れるラスベガス。

それにしてもここのホステルは、みんなとてもフレンドリーだ。

いままでのどのホステルとも人の雰囲気が違い、柔らかく明るい人が多い気がする。
それもラスベガスの開放的な雰囲気のせいなのだろうか。

みんな何をして過ごすのかと聞いてみた所、アウトレットでのショッピングや、ホテルの中にあるボタニカルガーデンに行くなどの答えが帰ってきたが、正直そんなに惹かれない。

今日は1日ホステル内で節約生活をすることにしよう。

ちょうどいままでの旅のこともまとめられてなかったので、その為にもちょうど良い。

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やたら絡んでくるメキシカンのジョナタンに声をかけられ座っていると、ジョナタンが通りすがった日本人を呼び止めた。名前はケン。

ケンは大学を休学中で語学留学を経ながら、北米大陸を西廻りにぐるっと一周している途中だそうだ。
笑顔がとても素朴で柔らかい青年だった。
今日はこれからアウトレットに行き買いたいものがあるらしい。


日中は本当にゆっくりと過ごした。
ポートランドで感じたことをまとめようと思いパソコンに向かうが、濃密すぎた2週間の経験をうまく言葉にまとめることができない。

どういう風に表現しようかと、そこでかなり悩んでしまう。

相変わらずアウトプットが下手くそだ。


あっという間に夜の12時に、作業を切り上げて、みんなが飲んでいるテーブルに顔を出すと、「よーすけ」と声を掛けられた。

「ハイ」と返事を返すが、正直誰かわからない…
ラスベガスを楽しんでるか?と聞かれ曖昧に返事をして、何処で会ったっけ?と聞くと、おとといクラブに一緒に行ったじゃないか?と言う…

ラスベガスに着いたのは昨日だ。

そしてなにやら、「ゆーすけ」じゃないのか?と言ってくるので、おれは「よーすけ」だと答える。
どうやら人違いだったらしい。
「ゆーすけ」と「よーすけ」
顔も似ているというが、こっちの人から見ればアジア人も皆同じ顔に見えるのかもな。
そんなきっかけで、ブライアンと話し始めたが彼は上手に日本語話す。
メキシコで5年間日本語の勉強をしていたんだそうだ。

 

言葉を交し合えるブライアンと、ひさびさに沢山喋った。

 

特に日本の漫画の話で盛り上がったが、自分も知らない漫画を色々と知っていて紹介してくれたが、どれも面白そうだった。

海外の人が興味を持つ日本の文化ってもても興味深い。

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帰ったら、読みたい本や見たい映画が沢山だ。

それが今の楽しみ。

 

つづく

 

 

ポートランドがポートランドらしくある由縁

自由大学主催のCreative camp in Portland 1日目

ポートランドで長く暮らす、黒崎美生さんのアメリカがどういう風な成り立ちで作られたのか?という話から始まった。

 

それはポートランドポートランドらしくあり続ける由縁の説明でもあり、とても分かりやすく頭の中にスッと入ってきた。

 

アメリカ大陸には16世紀ごろ、当時のヨーロッパの宗教の束縛や保守的な考え方。

そんな決まり事に嫌気が差した、リベラルという思想を強く持った人達が集まって出来た。

自由を追い求める人たちと、この壮大な土地の自然豊かな環境が彼等にとても適していた。

 

それは偶然のようで導かれているのかもしれない。

それがポートランドに今多くの人が興味をもち、この土地に訪れ何かを考えるきっかけになる。ぼくらもこのタイミングでここに集まったのにはなにか地球の大きな引力がそうさせたような気がする。

 

みんなそれぞれの個性を持ち、同じ価値観の人もいれば、全く違う意見の者もいる。

しかしそれを一概に否定するのでなく、相手の意見に耳を傾け、そういう意見もあるんだなと自分の中で咀嚼しまた考える。

他者を認めあい、お互いがお互いを信頼しあう。

 

そんな社会は、僕らも、ゲイの人もそれぞれの考え方をしっかりと持っていてホームレスもその人のキャラクターだったり個性の一つ、外見から見えるものを取り除いていくとみんな同じ生命体で、自分に正直に生きているのは素敵だと思う。

分け隔てなく受け入れられ、それぞれの個性が自然なバランスで絡み合い、うまく作用しているのではないか。

それぞれが自らのアイデンティティに誇りを持ち、生きている。

 

そういった考え方をみんながもっているから、publication studioのような小さなパブリックスタジオも、思いを持って行動する人を、町の人は受け入れたくなるのだろう。

 

 

そんなことを考えながら今朝、たまたまフェイスブックから流れて来た記事で、鹿児島県にある「しょうぶ学園」という知的障害者施設のドキュメンタリーの記事を読んだ。

 

そこの園長の方は彼らと接し続ける中で、彼らのことを"スペシャル"な人々と呼ぶことにした。

もともとは障害のある人達が社会の枠組みに沿えるようになるための職業訓練をやっていたのだが、それに疑問と限界を感じて、あるとき全てを放棄してしまった。

 

すると彼らは誰に指示されるのでもなく、自ら筆や楽器を手にとり思いのままに創作を始めたんだそうだ。

そうして出来た作品達は、魂がゆさぶられるような芸術で、

彼らの衝動のままに生み出す芸術たちを、最良の形で紹介していこう、という道なき道を行くことを決めた。

 

この映画の監督は、スペシャルな障がい者と、ノーマルなスタッフたちが手を携えて日々を営む「しょうぶ学園」の姿を映していく中で、福祉という範疇を超えて、地域社会や教育、人と人との関係はどうあるべきか、そして人としてのほんとうの豊かさや喜びはなんだろう?と問いかけが生まれてきた。

 

彼らが奏でる音楽を聴いた監督は、

 

不揃いで不可解。

それが、こんなにも心地いいとは知らなかった。

という衝撃を受けたんだそうだ。

本来、音楽では 不揃いやズレは好ましいものではないと思われているけど、「はたして揃うことがすべて美しいのだろうか」と問いかけてみると、見えている世界には、実は見えてない別の可能性があることに気付いたんだそう。

 

これまで無意識にセットされきた「普通」というものが揺り動かされるようなことの連続で、根本的な人の幸せのあり方や価値観を問うものだと感じるようになったのだ。

 

僕らが彼らに社会の秩序を教える立場ではなく、彼らから精神的な秩序を学ぶべきだ。

彼らには物理的な障害はあるけれど、心には障害がない。

逆に私たちは普段から人と接する時には、心に服を着てしまっている。

相手によっては何枚も重ね着したり、着替えることだってある。

でも彼らはいつも誰とでもどんな時にもそのままの姿で。それはとても健康的で美しかった。

 

僕らには、社会的な顔が必要な時も合って、すべてを解放することは難しいかもしれないけど、彼らのマインドから学ぶところは沢山あるのだと思う。

 

僕らを取り巻いているさまざまな固定観念を、少しずつ溶かしていくヒントが詰まっていると思う

 

そういったマインドはポートランドも似ていると思って、今の世の中を色んな理由から生きづらいと感じている人達がいて、そうした人達を社会不適合ということばで括るのではなく、受け入れ解放させてあげられるような寛容さを、この町から学んで、これからの社会のあり方を考える素となるんじゃないのかなと思う。

 

追記

ヨーロッパの人たちが、アメリカ大陸に上陸し今のアメリカ合衆国が作られた裏には、もともとそこに暮らしていたインディアンの人たちを蹂躙した歴史がある。

歴史は語り手によって、見えてくるものが違う。真実を追い求めるには物事を多角的な視点で見ることも大事だ。という事もポートランドで日本学を研究する教授からの話で印象に残った言葉だ。

 

また別の機会にそれについても学んで書きたいと思う。

 

つづく