ポートランドがポートランドらしくある由縁

自由大学主催のCreative camp in Portland 1日目

ポートランドで長く暮らす、黒崎美生さんのアメリカがどういう風な成り立ちで作られたのか?という話から始まった。

 

それはポートランドポートランドらしくあり続ける由縁の説明でもあり、とても分かりやすく頭の中にスッと入ってきた。

 

アメリカ大陸には16世紀ごろ、当時のヨーロッパの宗教の束縛や保守的な考え方。

そんな決まり事に嫌気が差した、リベラルという思想を強く持った人達が集まって出来た。

自由を追い求める人たちと、この壮大な土地の自然豊かな環境が彼等にとても適していた。

 

それは偶然のようで導かれているのかもしれない。

それがポートランドに今多くの人が興味をもち、この土地に訪れ何かを考えるきっかけになる。ぼくらもこのタイミングでここに集まったのにはなにか地球の大きな引力がそうさせたような気がする。

 

みんなそれぞれの個性を持ち、同じ価値観の人もいれば、全く違う意見の者もいる。

しかしそれを一概に否定するのでなく、相手の意見に耳を傾け、そういう意見もあるんだなと自分の中で咀嚼しまた考える。

他者を認めあい、お互いがお互いを信頼しあう。

 

そんな社会は、僕らも、ゲイの人もそれぞれの考え方をしっかりと持っていてホームレスもその人のキャラクターだったり個性の一つ、外見から見えるものを取り除いていくとみんな同じ生命体で、自分に正直に生きているのは素敵だと思う。

分け隔てなく受け入れられ、それぞれの個性が自然なバランスで絡み合い、うまく作用しているのではないか。

それぞれが自らのアイデンティティに誇りを持ち、生きている。

 

そういった考え方をみんながもっているから、publication studioのような小さなパブリックスタジオも、思いを持って行動する人を、町の人は受け入れたくなるのだろう。

 

 

そんなことを考えながら今朝、たまたまフェイスブックから流れて来た記事で、鹿児島県にある「しょうぶ学園」という知的障害者施設のドキュメンタリーの記事を読んだ。

 

そこの園長の方は彼らと接し続ける中で、彼らのことを"スペシャル"な人々と呼ぶことにした。

もともとは障害のある人達が社会の枠組みに沿えるようになるための職業訓練をやっていたのだが、それに疑問と限界を感じて、あるとき全てを放棄してしまった。

 

すると彼らは誰に指示されるのでもなく、自ら筆や楽器を手にとり思いのままに創作を始めたんだそうだ。

そうして出来た作品達は、魂がゆさぶられるような芸術で、

彼らの衝動のままに生み出す芸術たちを、最良の形で紹介していこう、という道なき道を行くことを決めた。

 

この映画の監督は、スペシャルな障がい者と、ノーマルなスタッフたちが手を携えて日々を営む「しょうぶ学園」の姿を映していく中で、福祉という範疇を超えて、地域社会や教育、人と人との関係はどうあるべきか、そして人としてのほんとうの豊かさや喜びはなんだろう?と問いかけが生まれてきた。

 

彼らが奏でる音楽を聴いた監督は、

 

不揃いで不可解。

それが、こんなにも心地いいとは知らなかった。

という衝撃を受けたんだそうだ。

本来、音楽では 不揃いやズレは好ましいものではないと思われているけど、「はたして揃うことがすべて美しいのだろうか」と問いかけてみると、見えている世界には、実は見えてない別の可能性があることに気付いたんだそう。

 

これまで無意識にセットされきた「普通」というものが揺り動かされるようなことの連続で、根本的な人の幸せのあり方や価値観を問うものだと感じるようになったのだ。

 

僕らが彼らに社会の秩序を教える立場ではなく、彼らから精神的な秩序を学ぶべきだ。

彼らには物理的な障害はあるけれど、心には障害がない。

逆に私たちは普段から人と接する時には、心に服を着てしまっている。

相手によっては何枚も重ね着したり、着替えることだってある。

でも彼らはいつも誰とでもどんな時にもそのままの姿で。それはとても健康的で美しかった。

 

僕らには、社会的な顔が必要な時も合って、すべてを解放することは難しいかもしれないけど、彼らのマインドから学ぶところは沢山あるのだと思う。

 

僕らを取り巻いているさまざまな固定観念を、少しずつ溶かしていくヒントが詰まっていると思う

 

そういったマインドはポートランドも似ていると思って、今の世の中を色んな理由から生きづらいと感じている人達がいて、そうした人達を社会不適合ということばで括るのではなく、受け入れ解放させてあげられるような寛容さを、この町から学んで、これからの社会のあり方を考える素となるんじゃないのかなと思う。

 

追記

ヨーロッパの人たちが、アメリカ大陸に上陸し今のアメリカ合衆国が作られた裏には、もともとそこに暮らしていたインディアンの人たちを蹂躙した歴史がある。

歴史は語り手によって、見えてくるものが違う。真実を追い求めるには物事を多角的な視点で見ることも大事だ。という事もポートランドで日本学を研究する教授からの話で印象に残った言葉だ。

 

また別の機会にそれについても学んで書きたいと思う。

 

つづく