◉※クリエイティブキャンプ 1日目 感じたこと。

おかじさんからの話
※好奇心を大切に
感じる 直感 かた
何が問題なのかが問題
 
チーム決め
もみちゃんとあいちゃん
共通項はなに?
働き方、時間の使い方 生き方
仕事と自分の時間のバランス
 
バランス ライフ タイム
BLTサンド
 
黒崎さんの話
ポートランドに来たのは29年前。
アメリカ人の奥様と結婚し、ハーフの長男が生まれた時に、当時の日本はハーフを受け入れる文化が無かった。
 
子供のためにも、そういったものを受け入れているアメリカに移住してきた。
 
ところで、アメリカってどんな国?
 
もともとは、コロンブスが新大陸を発見して広大な土地を見つけた。
 
当時、ヨーロッパの人達の中で保守的な考えに嫌気がさして、自由を求めた人達がアメリカに渡ってきた。
 
そこでは、働くのも自由だし、宗教も自由で、土地を開拓して暮らし始めた。
 
しかし時が経つにつれ、徐々に貧富の差が生まれ、特権階級に自由を奪われ、
求めていたはずの自由がまた無くなってきた。
 
そこで、さらに自由を求め続けた人達はまだ開拓されてない西へ西へと歩き続ける。GO WEST
 
そんな自由をを最も求めた人達が行き着い先が西海岸だった。
 
自由を愛する彼等は、リベラルな思想を持ち、お互いを認め合い、差別もなく、自由な生き方を自由に作っていった。
 
オレゴンには、そんなバックボーンがあり、のちのポートランドの多様性に富んだ街や、新しく来た人達も快く迎え入れる文化が育まれ続けてきた。
 
彼等は自由に生きる為にも、自分たちで仕組みを考え、自分たちで行動し、市民参画の行政や、まちづくりが進んでいった。
 
行政も市民がよりよい生活を送る事を第一に、上から勝手に作っていくのではなく、市民の声を反映し共に街を作ってきた。
 
ポートランドの人達が愛する大統領は、「人民の人民による、人民のための政治」を行ったリンカーン
公園には、像も立っている。
 
 
もともとその土地で生まれ育った人達と、新しいチャレンジをしにやってくる新参者が、いかに融合していったのか疑問に思ったが、リベラルな思想にその答えはあった。
 
日本の地方では、地元を愛するがゆえ変化をあまり好まず、外部からの刺激を拒む人達がすくなからすいて、いい循環が生まれていない。
 
 
ポートランドポートランドらしくあり続ける由縁
リベラルという思想を強く持った人達が集まって出来た
それが、この土地の環境にとても適していた。
 
それは偶然のようで導かれているのかもしれない。
それがポートランドに今多くの人が興味をもち、この土地に訪れ何かを考えるきっかけになる。ぼくらもこのタイミングでここに集まったのにはなにか地球の大きな引力がそうさせたような気がする。
 
みんなそれぞれの個性を持ち、同じ価値観の人もいれば、全く違う意見の者もいる。
しかしそれを一概に否定するのでなく、相手の意見に耳を傾け、そういう意見もあるんだなと自分の中で咀嚼しまた考える。
他者を認めあい、お互いがお互いを信頼しあう。
 
そんな社会は、僕らも、ゲイの人もそれぞれの考え方をしっかりと持っていてホームレスもその人のキャラクターだったり個性の一つ、外見から見えるものを取り除いていくとみんな同じ生命体で、自分に正直に生きているのは素敵だと思う。
分け隔てなく受け入れられ、それぞれの個性が自然なバランスで絡み合い、うまく作用しているのではないか。
それぞれが自らのアイデンティティに誇りを持ち、生きている。
 
そういった考え方をみんながもっているから、publication studioのような小さな出版社だけれども、思いを持って行動する人を、町の人は受け入れたくなるのだろう。
 
 
そんなことを考えながら今朝、たまたまフェイスブックから流れて来た記事で、鹿児島県にある「しょうぶ学園」という知的障害者施設のドキュメンタリーの記事を読んだんですけど、そこの園長の方は彼らと接し続ける中で、彼らのことを"スペシャル"な人々と呼ぶことにしたんですね。
もともとは障害のある人達が社会の枠組みに沿えるようになるための職業訓練をやっていたのですが、それに疑問と限界を感じて、あるとき全てを放棄してしまったんです。
 
すると彼らは誰に指示されるのでもなく、自ら筆や楽器を手にとり思いのままに創作を始めたんだそうです。
そうして出来た作品達は、魂がゆさぶられるような芸術で、
彼らの衝動のままに生み出す芸術たちを、最良の形で紹介していこう、という道なき道を行くことを決めた。
 
監督は、スペシャルな障がい者と、ノーマルなスタッフたちが手を携えて日々を営む「しょうぶ学園」の姿を映していく中で、福祉という範疇を超えて、地域社会や教育、人と人との関係はどうあるべきか、そして人としてのほんとうの豊かさや喜びはなんだろう?と問いかけが生まれてきた。
 
彼らが奏でる音楽を聴いた監督は、
 
不揃いで不可解。
それが、こんなにも心地いいとは知らなかった。
という衝撃を受けたんだそうです。
本来、音楽では 不揃いやズレは好ましいものではないと思われているけど、「はたして揃うことがすべて美しいのだろうか」と問いかけてみると、見えている世界には、実は見えてない別の可能性があることに気付いたんだそうです。
 
これまで無意識にセットされきた「普通」というものが揺り動かされるようなことの連続で、根本的な人の幸せのあり方や価値観を問うものだと感じるようになったそうです。
 
僕らが彼らに社会の秩序を教える立場ではなく、彼らから精神的な秩序を学ぶべきだ。
彼らには物理的な障害はあるけれど、心には障害がないんです。
逆に私たちは普段から人と接する時には、心に服を着てしまっている。
相手によっては何枚も重ね着したり、着替えることだってある。
でも彼らはいつも誰とでもどんな時にもそのままの姿で。それはとても健康的で美しかった。
 
僕らには、社会的な顔が必要な時も合って、すべてを解放することは難しいかもしれないけど、彼らのマインドから学ぶところは沢山あるのだと思う。
 
僕らを取り巻いているさまざまな固定観念を、少しずつ溶かしていくヒントが詰まっていると思う
 
そういったマインドはポートランドも似ていると思って、今の世の中を色んな理由から生きづらいと感じている人達がいて、そうした人達を社会不適合ということばで括るのではなく、受け入れ解放させてあげられるような寛容さを、この町から学んで、これからの社会のあり方を考える素となるんじゃないのかなと思います。